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ぽぽぽ?(仮)

日々もろもろ。

思い出す1人の女の子について。

贔屓じゃないけど、いや、贔屓なのか!?
もうそういう言葉の範疇の外にある問題なんだろうとは思うのだけれど。

投稿しただけで漫画を50本くらい描いていて、もちろんそれ以前から漫画と呼べるのか相当疑わしいシロモノも描いていて。その数だけ主人公がいるんだけど。99.9%は女の子だったなぁ。男の子描くの苦手だった。0.1%はもしかしたらヒロインと同じくらいの割合で精神的に主人公だったような男の子がいたような気がしないでもないなと思ったので…。

50人以上のヒロイン、ぜんぶ思い出せないよね\(^o^)/
いやしかしだなうーん、今思い出そうとすればわりかし出てくるなって思った。あんな子いた! そうそう、彼女にはちゃんとハッピーエンドを用意してあげられたんだ。ややこしいことしてごめんねなどと。

だけどですねぇ、何かにつけて思い出しては夜更けに未だに頭の中で動かしている女の子(と、彼女の恋人になったであろう男の子。作中でははっきりさせなかった。なんというか、それどころじゃない話だった…)。ガンガンのファンタジーで、バリバリにつらい運命背負わせちゃったけど、強い瞳で私の拙い物語を駆け抜けてくれた。あの子を今でも自分の中に保って、息をさせてあげられていることは、私にとってとても幸福なことだなぁとふと思ってしたためる、ただそれだけの文章なので! ある!!

あ、良かったなって。なんか、唐突にそれだけ思ったよ今夜(笑)。
私。本当にあの子たちとあの物語は特別だったんだろうなって。自分の憧れの結晶だったんだろうなって。なんせ、3回描き直したし(笑)。ぜんぶ落ちたけどもな(笑)。

「私たちはもう1度出会うだろう。出会うべくして出会うのだろう」って。そう言ってくれた、強い女の子。憧れの女の子。ありがとうね、これからもよろしく。

終電後の羽田空港から横浜駅らたへんまでの帰り方(データ2016年3月)

ちょっと北海道まで行ってたんですけど。
会社の人に1泊2日と言ったら「弾丸!!」って驚かれたけど、別に自分やその周りでは通常運転だから感覚の違いっておっそろしいなって思ったんですが。早朝に出て深夜に帰ってくればまるまる2日で、今回はそれでたっぷり2本も良いライブ観れたし!

◆◆◆本題◆◆◆
で、ご機嫌で「さーあ帰ろう!」と思って新千歳空港に行ったんです。
したら、利用便が2時間遅れだったわけです。
うむ。格安航空のリスクを知って予約したのは私である。しかし1時間遅れても羽田から自宅までの終電には余裕だと思っていた私の予測の上を行く2時間遅れ。けっきょく羽田空港に到着したのは24時45分。ありとあらゆる電車はすでにないですね。

しかし、電車は無くともバスはある。深夜バス。方面と本数はぐっと限られますが。
幸い私は、横浜駅まで帰りつければ、ある程度光が見えてきます。よし頑張って帰ろう明日も仕事だよ!!


で、深夜バスの発着場所は羽田空港国際線ターミナルのバス乗り場です。行ったことあるわけない、羽田の国際線とか。
でも大丈夫、こうゆう終電後の到着便の時はいつもそうなんだろうなと思ったのですが、お客さんを待ちかまえて「深夜バス発着の国際線ターミナル行きの無料バスはこちらです!!」って誘導してくれるスタッフさんがおります。というわけでそのまんまバスに乗ります。たぶん歩いていくとかなり遠いってゆうか、特に深夜すぎるしよく分からないです。

とゆーわけでポッと国際線ターミナル1Fに着きます。けど、着く場所は別にバスターミナルじゃないので目の前の建物に入ります。国内線は全ての終りみたいな状況だったけど、ここのローソンは大繁盛営業中で有難かったす。バス乗り場へは1回エスカレータで2Fに上がりましょう。そんで、あとは「バスターミナル」の表示を見つけてがんばって行きましょう、すぐです。

深夜バスに30分弱揺られると横浜駅東口YCATに着きます。速いです。横浜近いんだね。
で、実はここからが本題です。YCATのタクシー乗り場ではタクシーがつかまらない。
時間が遅すぎて待機しているタクシーが1台2台で、先にそのタクシーが出ちゃうともう1度帰ってくるまでタクシー来ないんじゃないかと思うんです。しかも他にもタクシー待ちの人けっこういるし。この時点で深夜2時を回っています。YCATは割と利用してるけど、こんな時間に来たのは初めてだよ!! 普段開いてる出入り口がとことんシャッターで閉まってるんだよ! どーすりゃいいねん。というわけで、私はタクシー乗り場から外に出ました。外に出る道が他に見当たらなかったので。

YCATのタクシー乗り場を右に行くと、国道1号が走っていて、その向かい側が横浜駅です。私は1回横浜駅東口地下街ポルタのタクシー乗り場を覗いたんですが、ここにも1台もいませんでした。昼は30台くらいいるのになー!
でも大丈夫、私は1号線を渡った東口の前(郵便局とか崎陽軒とかある方)に2台いたタクシーを拾いました。運転手さん、歩道橋の階段を駆け降りる私の姿を認めると早々とドア開けてくれました。ふううぅぅ・・・。

もしかして東口のそこにもタクシーがいなかったら。大丈夫、西口には朝まで営業している飲み屋やらカラオケ屋やらがいっぱいあるんで、そっち行けばきっとタクシーいるんじゃないかしら(確認してないけど)。ともかく、横浜駅の特に東口は渋谷や新宿とは違って夜はちゃんと眠ってるんだなぁ~と。健全。でもタクシーいない時がいちばん焦った…。

あと、私は航空会社が地上の帰路の交通費を負担してくれるというから惜しげもなくタクシー使いましたが(そんなにかからないし)、諸々事情で横浜駅で足止めを食う場合はYCATの真上、スカイビルのスカイスパを利用するというのも手だと思います(と言いつつ私は利用したことないです)。朝までお風呂に入って仮眠もできるはずです。
まぁ、なんか、面白かったです(笑)。タクシーいない時ほんとどーしようかと思ったけど!!

描き続けることはできなかったとして、在り続ける体温としての。

幼少期から漫画が好きで、商業漫画家になりたいなどと思いこみ、15歳の頃からB4サイズの原稿用紙をカリカリと線と文字で埋め尽くし、そうして出来たものを封筒に詰めて出版社に送り始めた。その生活に終止符を打って、筆を折ったのが26歳の頃だろうか。実はかなり不確かな記憶で、それでもおそらくは25,6歳だとは思う。その曖昧さが物語るのは、描くことをやめたということは私にとってそれほどまでに印象的なことではなかったという象徴なのだろう。

小学校の卒業文集に「漫画家になりたい!!」と堂々と書き、殆ど10年間描き続けたけれど、その10年も思い返してみればおそらくは3年間くらい描いてないんじゃないかという時期が挟まっている。大学受験に勤しんでいた高校3年生の頃と、就職してからの数年間のどこかで1年間くらいと、あとは半年に分けて2度くらい描かなかったという記憶がある。最初の受験の時は「描かない! 大学受かったらまた描く!!」と強く決め込んでの休業だったわけだけれど、他は疲れたから休んでいたという、そういう流れだったのだと思う。

今ではもはや私には何も描くことはできない。不意に何かを描きたいような、そうするべきなのではないかと思う夜も確かにある。けれどその思いは、淡雪の如く次の朝にはきれいさっぱり消え去っている。その度に思うのは、「私はもう何をも描き切る力も持っていないのだ」という事実だけなのだ。「ああ、やっぱりもう描けないのだ」、と。

最後の作品を描いた年齢は覚えていないけれど、最後の作品を完成させた時の心持ちについてははっきりと覚えている。その10年間で、おそらくは50作くらいは投稿したのだろう。その果てに、「横ばいを続ける評価が、この作品で上でも下でも振れたなら、まだ描き続けよう」と決めた。上でも、そして何よりも、下でも。そういうものを描こうとした。最低評価でも食らいやがれ、と。そしてそれは叶わなかった。評価は上がりもせず、そして何よりも残念ながら下がりもしなかった。

その時に私は自分の表現にとってここがどん詰まりなんだということを知ったわけだけれど、それは絶望とか悲しみではなくて、とても自然に体の中に馴染む感覚だった。終わりにするに相応しい、と。そのように私は自分の物語を信じて、休日は文字通り朝から晩まで齧りついて描いていた日々に別れを告げた。そして今の私は何も描けなくなった。描けないということがはっきり分かっている。ひとつの話を最初から最後まで確信を持って物語る語り部足る力を喪失した。この感覚を正確に伝えることはできないように思えるけれど、でもとにかく私にはもう何も描けないのだ。

10年。ブランクを抱えた、便宜上の10年。あの情熱は溶けて消えた。だけど、なににせよ、人に物語を伝えるために言葉を選び続けた日々は重く有益だったと確信できる。表向きの行動としても、内包的な熱情としてのそれも儚く消えてしまったかもしれないけれど、とても強い芯のようなものが私の中に手触りのあるひとつの存在として確固として在るのが分かる。それは未だに体温を持って息をし続けている。

私が人生で得た、それは私にしか通用しないかもしれない、それでもひとつの訓示である。続けても休んでも辞めても、一見して消えてしまったかのように見えたとしても、強烈な意志を持って費やした時間はひとつの結晶になって共に生きていく。だからこの先どこに流されようと、再び情熱を捧げたことを続けても休んでも、そして捨て去ってしまっても、それはいつでも自分自身として在る。在るのを感じて進んでいく。

けれどいつか再びめぐり逢えたらと、おそらくは願ってしまうだろうし願っていたいとも思う。そしてそれについては、あまり心配するようなことでもないと思っている。私にはもう何も描けないけれど、それでもそう思う時がある。それでいいと思う。だから、逢えるよ、また。

遠い太鼓に誘われて。

  遠い太鼓に誘われて
  私は長い旅に出た
  古い外套に身を包み
  すべてを後に残して

…例によって村上春樹ですが。
随分と回復してきた気がします。その場になってみないと何も分からないのですが。遠い太鼓がいざなう道も日夜くるくる踊り替わる。
昔の旅の話を思い出しながらつらつら書こうかなぁという気はとてもあります。おそらくそうするのでしょう。


「海運不況とともに彼らは船を降りて、バスの車掌をやったり、レストランの主人になったり、小さな雑貨屋を開いたりしていた。そして彼らはかつて船の上で過ごした日々を、まるで失われた青春を慈しむかのように大事そうに話した。彼らの話を聞いていると、僕にもそれがとても良い時代であったように聞こえた。船に乗ってあっちにもこっちにも行けたような時代。望みさえすればそういう仕事がどこにでも転がっていた時代。
でもそういう時代はもう過ぎ去ってしまったのだ。かのスペッツェス島の商船隊が汽船時代の到来とともに没落してしまったのと同じように。」

習作としての言葉たち。

「続けるだけじゃどこにも辿りつけない」

船を降りる直前に彼は言った。
いや、以前から言い続けていた。
「続けるだけじゃ意味が無い、希望を提示しなくてはならない」。

それに加えて私自身が学んだことは、
「続けることによって在ったはずの美しさが根こそぎ破壊されて思い出せなくなってしまう危険がある」。

今船を降りれば、あるいは丁寧に時間をかけて船を修理して、もう1度海原を走らせることは可能かもしれない。その可能性が微かでも残っているのならば、おそらくは降りるべきなのだ。
修理すべき時を見誤り、帆も舵ももはや修復不能となり船底からの浸水に船体が大きく傾き、底知れぬ海中へと引きずり込まれてからでは遅いのだ。あるいはもう少し船を走らせれば、地上の楽園のような島に行きあたるのではないかという根拠なき妄執に囚われてはならないのだ。


私はそれを、理解する。
私自身の経験として。
そして、思いを馳せる。
全く見当外れかもしれないけれど、それでも触れられたような気になる。
それでいいと思う。
だって私は今、泣いているのだから。

俺は泣いているのか。

Return to Earth

全てを呪う前に、
心と体がバラバラになって意味を失う前に、
土へ還ろう

と、彼は歌った。

眠れない人々が
街を泳ぐけれど
溺れているようだ
俺は泣いているのか

どうしてこんなに
ボロボロなんだ
どうして毎回
ボロボロなんだ

続けるだけじゃどこにも辿り着けない

感動は希薄になっていく

きっと一人になって
一人の未来について
考える時なのさ

だから、真っ白い家に帰ろう、と彼は歌った。
アルマゲドン』みたいな派手な帰還はできなかったけれど、泥にまみれて傷にまみれてそれでも誰しもがささやかな幸せに帰れるのだと。
その悲しい物語を、リリースから1年経って、私自身の物語としてストンと落とし込む。出来得るならば、私も希望を提示し続けたかった。試みることで、それがどんなに苛酷なことかを思い知る。だから、私はもう、「早く再開して」なんて口が裂けても言えないんだろう。ただ、傷が癒えるのを静かに待つ。その家から今1度航海に赴く日を、待つ。港を出ないなら出ないでそれはそれで構わないとも、思う。そこは朝日も夕日も、昼の青空もけぶる月夜も、しと降る霧雨も寄せる波も美しい港だから。

だけど先日、『Cry for the moon』を歌う彼の視線の先に、もう1人の彼の影を見たような錯覚に陥った。そうであれば良いと、私は港を遠くに眺める岬の小さな家の窓から祈っている。祈りも通じないなんて、寂しすぎる。私自身がもう2度と、傷つけ合って別れたあいつと同じ道を走れないことを承知しながらも。ただ私は祈っている。


期待など無い
苦しみしかないが
おまえの愛は
俺だけのもの

恐ろしい
許し難い
お前の愛は
俺のもの

時間などない
憎しみが募った
お前の愛は
俺だけのもの、と

続・あまり長くなく且つ他人の言葉を。

「彼らは互いをあるがままに受け入れ、理解し合った。一人ひとりがそこに深い幸福感を抱けた。しかしそんな至福が永遠に続くわけはない。楽園はいつしか失われるものだ。人はそれぞれに違った速度で成長していくし、進む方向も異なってくる。時が経つにつれ、そこには避けがたく違和が生じていっただろう。微妙な亀裂も現れただろう。そしてそれはやがて微妙なというあたりでは収まらないものになっていったはずだ。

シロの精神はおそらく、そういう来るべきものの圧迫に耐えられなかったのだろう。今のうちにそのグループとの精神的な連動を解いておかないことには、その崩壊の巻き添えになり、自分も致命的に損なわれてしまうと感じたのかもしれない。沈没する船の生む渦に呑まれ、海底に引きずり込まれる漂流者みたいに。

シロはおそらくそんな状況から逃げ出したかったのだろう。感情のコントロールを絶え間なく要求する緊密な人間関係に、それ以上耐えられなくなったのかもしれない。シロは五人の中では疑いの余地なく、最も感受性の強い人間だった。そしておそらく誰よりも早く、その軋みを聞き取ったのだろう。」


割と長かった……。
村上春樹が多用する「損なう」という言葉の本質を人生の実感として私は今初めて理解したような気がする、そんなお年頃です。
――「楽園はいつか失われるものだ」。



「いや、おれは冷静でもなければ、常にクールに自分のペースを守っているわけでもない。それはただバランスの問題に過ぎない。自分の抱える重みを支点の左右に、習慣的にうまく振り分けているだけだ。他人の目には涼しげに映るかもしれない。でもそれは決して簡単な作業ではない。見た目よりは手間がかかる。そして均衡がうまくとれているからといって、支点にかかる総重量が僅かでも軽くなるわけではないのだ。」