ぽぽぽ?(仮)

日々もろもろ。

もう1度長い話をしよう③

漫画描きになりたい人生でした。残念なことに、ですが。

商業漫画家になりたくて、それで食べていきたくて、10年間で50本くらい投稿しましたあははー!
でも一方で漫画にかけるのが怖くて、自分の力をとてもじゃないけど信じられなくて、ごくごく一般的な過程を経てフツーに就職しました(就職できて良かったよねマジでね…)。

就職してからも投稿は続けていましたが、どうにもこうにも上にいけない。小さな賞を頂いたことは何回かあるのですが(今思えば私などに投資をして下さったこと、けっきょくものにならなかったことに頭が上がらない)、そこ止まり。自分もどんどん歳を取る。世間の潮流に迎合したものを描いても評価は前と変わらない。自分の力量と心持ちはここが果てなのだろうと思い、1年くらい描かなかった時もあったけれど、それでも描いて、そして評価は変わらなかった。10年間で5社7誌くらいに投稿して、何も結果を出せぬまま迎えた25歳くらいの時、ふと思ったのです。「振り切れたものを描こう。最低評価でも食らえばいい」。

そして、そうして描いた物語が以前と平行線を辿った評価を下されたその時に、私は私の表現の終わりを知ったのです。


小学校の卒業文集に「漫画家になりたい」と書いた君のその夢は叶うことはなかったけれど、君が真剣に10年の歳月と情熱と身銭を投じたそれ自体は何も間違ってはいなかったよ。10年間に渡って深刻なまでに丁寧に言葉を選び続けるという経験をできて本当に良かったよ。だけど。

麻生みことさんの名作『路地恋花』で、元は画家志望だった少女が「別に私は 辞めれただけ」と口にする。未練たっぷりに、それでも彼女は圧倒的な才能を持つ恋人の存在の前に打ちひしがれて筆を折る。それができるものなら、早く折ってしまえばいいよ。辛ければやめてしまえ、他に生きるすべがあるのならそっちに縋れ。歩めたとて血まみれの茨の道など、降りられるのなら降りてしまえ。私は、降りたよ。降りられたよ。その程度だったよ。今の経験が無駄にならないのなら、なおのこと。

仮にステージを去るというなら、そもそも留める力などないとして、それでも引き止める言葉などかけられない。
ただ、それでも、ステージの上と下という関係性で出逢った私から、ひとつだけお願いがあるとすれば。つづく。

 

路地恋花 1 (アフタヌーンKC)

路地恋花 1 (アフタヌーンKC)