ぽぽぽ?(仮)

日々もろもろ。

どうしても書けないということについて。

やはりもう少しまとまった文章を書くべきなのじゃないかと思い立って、ここではない場所に下書きを書いていたのですが、どうしてもその文章の中に自分で魅力的なものを感じることができずに、けっきょくはこのまま筆は進まないのだろうなぁと思い、そしてまたここに文章を綴っている次第です。

もしも私の中にかろうじて物語を紡ぐ力(今回書こうとしていたのはフィクションではないのだけれど、それは大した違いじゃない)がささやかながらあったとして、それはやっぱり随分と昔に失われてしまったみたいだ。あるいは〝自分の物語を信じぬく力〟というのが正しいのかもしれないけれど。

だからやっぱり、この場で書き散らかせてもらう以外は選択肢はないようです。この程度の文章なら長い時間をかけて信じ抜くという作業を伴わずに書くことはできる。そうゆうものを人様にお見せできる場所に置いておいて何になるのかと訊かれればまぁ答えに窮してしまうのですが、個人的な療養として使用させて頂きたい、と。思いつくままに駄文を刻まさせて頂きたい、と。そう思ったわけです。

ところで昨夜というか今朝というか、地震の夢を見ました。というのは適切な表現ではなくて、揺れの夢を見た、というのが実際には近いんだろうなぁ。強い揺れを感じて目を覚まし(たぶんこの時点で一応目は開いていたと思う)、ガクガクと揺さぶられたままに布団の中から出入り口の引き戸に必死で手を伸ばしてとりあえずの動線を確保しようとし、そうしているうちに揺れは収まった。地震だったのかどうか、いまいち判然としないところはこの時すでに感じてはいて、寝ぼけ眼でスマホを点けたら画面が妙な表示に見えて、もしかしたらこの時もまだ片足夢の中に突っ込んでいる状態だったのやも。

朝、きちんと目覚めて気象庁のHPで昨夜の地震の記録をたどったけれど、私の居住地域では震度1さえ発表になっていなかった。確かに私は大きく揺れていて、逃げなければならないほど身の危険を感じたのに。〝揺れていたのは世界ではなく、私自身だったのだ。〟と書いていた人を私は1人知っていて、それは実は「地震」を体感していた時から思い出してはいた。この揺れは、私の内から生じたものじゃないのか。そしてまさしくそうだったわけだ。

私自身は、彼がその揺れから獲得したような啓示をとても導き出せそうにはないけれど、それでも私の中で何かが震えたというのならば、そう在ったことを記録しておこう。またすぐにこの場も途絶えるのだろうけれど、思い出しては書き綴っておこう。それが自分が書く文章の強さを信じることができなくなってしまった(取り戻そうとする試みは何度か行われたが、その度に無力を痛感するだけだった)私に最後に残された、ささやかな物語なのだと思います。あの揺れに、そんな啓示を重ねられたら素敵なのだけれどな。