ぽぽぽ?(仮)

日々もろもろ。

私は文章についての多くを。

「僕は文章についての多くを…に学んだ。殆ど全部、というべきかもしれない」。

村上春樹がそのデビュー作『風の歌を聴け』の冒頭で記したそこには〝デレク・ハートフィールド〟という、架空の作家の名が入るわけですが。私にとって人生で初めて小説の文体に衝撃を受けたのは村上春樹その人でした。もう20歳とかになっていたから衝撃を受けるには相当遅い気もするけれど、それほどまでにそうだったとも言えるかもしれないです。

割合、文学少女(死語ですか??)、次いで少女漫画オタクという育ち方をしたので、人並みには文章に触れる機会を持てていたのだと思いますが、だからこそ今まで読んできた文章とは明らかに異質なものとして衝撃的だったのだと思うのです。漫画にとってその役目を担ってくれたのは川原泉さんだったのだけれど、川原作品に出会ったのは小学生の時だったので、衝撃というよりも私の中のスタンダードにそのまますっぽりなりえたというか。母親に「口調が川原泉の漫画の登場人物っぽい」と言われたほどには私は川原さんの強い影響下にあります。

小学生の時分、図書室(田舎の小さな小学校だったのでそれは潤沢な目録を有していたとはいえないけれど、当時の私にとっては不足なかった)で片っ端からとりあえず読んだし、中学生以降はもっと長大な世界的名作に挑戦しもしました。とりわけ古典的なものを好んで読んでいた、というよりかは優れた現代作品についての案内があまりなくて、選ぶのに苦労したからかもしれないです。と言いつつ、佐藤賢一さんの『傭兵ピエール』は中学生時代の当たりだったなぁと今思い出しました。でも同時期に読んでいたのは『赤毛のアン』シリーズであったり(全10冊。私はアンの子世代の『虹の谷のアン』『アンの娘リラ』がとても好きです)、『レ・ミゼラブル』であったり(1~4部までを数カ月かけて四苦八苦しながら読み、5部を2日で号泣しながら読みました)、『罪と罰』は大学生の時だったかなぁ。あれは恋愛色が強くてびっくりしました。本当は『カラマーゾフの兄弟』とか読むべきなんだろうけれど、もうこの歳になると19世紀ロシア人の書いたものを手に取る勇気は出ない…。

でも今思えば、海外作家でも日本人作家でも、けっきょく「このひとのファンだ!!」という作家には巡り合えていなかったんだなぁと実感しました。森鴎外夏目漱石も、三島も谷崎もちょっとずつ齧ったものの。だから、やっぱり、村上作品との出会いは強烈で、その夏中に当時の既刊ほとんど全てを読破したのだから、好きと言うほかないし、きっとそれ以上なのだと思います。だから、この場での引用率も群を抜いてしまうのだけれど。

歳を重ねるごとに読める文体が随分と限定されてきてしまっている、読み切ってやるという強烈な意志が著しく減退してしまっているなぁと『グレート・ギャツビー』を前にヒィヒィ言っている今日この頃。文章が気持ちいいからと、すでに何度も繰った文庫のページを再び開いてしまうのだけれど、それでもいいよってヘルマン・ヘッセが肯定してくれるから、今再び自分にとって素敵な作家さんに出会えるまではそれでいようと思います。ヘルマン・ヘッセもいつかちゃんと読める…のだろうか……。