ぽぽぽ?(仮)

日々もろもろ。

写真はイメージです。

すべてはイメージです。
インタビューで余裕でご本人がぜんぜん違うエピソードなどを喋ってるの、ありますし、、、
いわば、そう、渡會さんのソロ曲の詞の中に、FoZZtoneと竹尾さん(Gt./FoZZtone)を探す連想ゲームです。他人が描いた物語の中に、自分だけの物語を見出せるからこそ、ひとは今も万葉集に感動できるわけですし、、、(そうなの???)

※大前提としての歴史の話ですが、2015年2月28日にFoZZtoneは活動休止しています。そしてこのあとの文章はもう、私の二次創作だと思って読んでください。

After Fork in the Road(2017年『After Fork in the Road』収録)
竹尾さんへの私信過ぎる。この曲における「君」は100%竹尾さんです。
「ただ一緒に傷付いた」って詞を聴いたとき、互いにそれぞれに、じゃなくて、「一緒に」だったことにめっちゃくちゃ感動したことをはっきり覚えています。そう書いてくれたことが本当に好き。あんなにバラバラに見えたのに。
「今夜も月は出てるんだぜ」の月はもちろんFoZZtone『フラッシュワープ』で君と一緒に探してた月。ライブの時に何回かアウトロで、「すごいぞエスパーのように俺ら」って歌ってもくれた。全面的竹尾宛お手紙楽曲。
「君はいったいどこにいるんだろう」。

カントリーロードアゲイン(2019年『Walk & Foods』収録)
FoZZtoneもっかいやってもいいかもしれないな、な曲。ここで彼が辿るカントリーロードFoZZtoneです(いや、一部は幼少期の実際的カントリーロードではあるんですけど、それにしたって)。君は竹尾だし(ホントかよ)、君と暮らした街は当時のお客さん――FoZZheadsです。これはもう、ほんと、聴き方の問題なんで!

ただ、2019年6月2日の渋谷クアトロでのワンマンのMCで、「もう1回ロックと向き合おうと思う」みたいなこと言い出した瞬間に「このひとFoZZtoneやる気では…??」って思ったし、同年9月の熊谷モルタルレコードでの弾き語りで、FoZZtoneの鎮魂歌みたいな『風によろしく』の「きっと一人になって一人の未来について考える時なのさ そう言って君を置いてゆく」の歌詞を「そう言ったのにまた君に会いにゆく」って歌われた瞬間、めっちゃ狼狽えた。し、めっちゃくちゃ嬉しかったなぁ。あぁ、竹尾さんに会いに行ったんだって。

Bonfire(2021年『NEW SCHOOL』収録)
なので、これは普通に渡會さんも公言してますけど、1回FoZZtoneを再開させようとしてるんですよね。2019年12月8日の自身のソロライブでメンバーを揃えて(ドラムはセカイイチの響ちゃん)、恐らくその後のコロナ禍の最中に、インスタのストーリーでも見て取れたんですけど(なのでもちろんもう残ってないんですけど)、竹尾さんと連絡とって色々やってたんですよね。だけどまぁ、ご存じのとおり、ダメだった。

「いつか消えた火が一瞬光った」=FoZZtoneを再開させられそうだったその時に。「水は凍り 溶けそうもなかった」=でもとても、止まった時間を動かせなかったという事実に。「湿気ったストーリー炙り、煙に 泣いている」=絶望したというのなら。
胸に刺さる夜というはFoZZtoneだし、影に焼き付ける過去ももちろんFoZZtone。それが怪物のように伸び、呪縛となる。ちっぽけな僕はけれどFoZZtoneを引き抜き火にくべて、ただ開いた(空いた)穴を埋めることはしない。今となってはもはや、穴があってこその自分だと。FoZZtoneを欠いたまま、もう1度時間が動き出す。
聴くたびに、悲しい歌だなぁと思う。たとえ再出発の詞であれ、このひとはいつも何かを失っている。「二度と戻ることはない さらばYesterday」。

Yes it is(2021年『NEW SCHOOL』収録)
※インタビューではコロナ禍の音楽シーンに対して…等々、ぜんっぜん別のお話をされていますので、ご本人の言葉を確認したい方は是非ともそちらをお読みください。この先は…ってゆうか、さっきからずっと私の同人誌なんで!!(爆)

「王国は崩れ去り 夕暮れに滅びゆく」=FoZZtoneですね、はい。『NEW SCHOOL』は基本的にだいたいずっと、FoZZtoneです(暴論)。「ずっと見上げてきた希望」=FoZZtoneですし、だけど「電池切れ」になっちゃったんですよ。「出会ってから十数年 君は未だ宇宙」の君は竹尾さんです。宇宙人なので(暴論)。
FoZZtoneを再開させることは叶わなかったけど、でもだから、もう一度サポートメンバーと一緒に仕切り直して始めよう、と。この曲はメロとかアレンジも敢えてFoZZtoneに寄せてるところがすごいあって、あぁ渡會さんは本当にもう1回FoZZtoneをやりたかったんだなって、やらなきゃいけないと思ったんだなって感じて、すごい胸締め付けられます。

ブラウンシュガー(2021年『NEW SCHOOL』収録)
で、FoZZtoneというよりも竹尾典明について歌ったのが、この曲です。この曲でも「宇宙」って単語が出てきますが、同じメタファーです、竹尾さんです(略)。
でも、FoZZtone活休から「時が経ったから 少しだけ分かる」、再開できなかったのは「それぞれの今に しがみついただけ」だってこと。「気軽に明るい未来」=FoZZtoneの再開を「語る人は減ったけど 歩き続けてる 僕ら」。そこで歌われる「認め始めてる 僕ら」は本当に救い。
だけども、「別れ際に もう一度だけ振り返る」んですよ。そして「宇宙」=竹尾「を見上げる」んです。おまけにもう1回見上げる。

この、渡會将士と竹尾典明の関係性というのをね、バンド時代にリアルタイムで観ていた時がね…本当に胃が痛くなる、この…まじで端で観ててすら超ストレス……。活休ツアーの時は「あぁぁあああぁ……」ってこと、多数。最後、本当に辛かった。終わるべくして終わるなぁ、もう2度と観ることはないんだろうなぁって。かつてあんなに美しかったものが、眼前で崩れていくのは、やっぱりしんどかった。
だから、こんな風に、2回目の破局を経てこうやって歌ってくれるのは、本当に大人になったなぁと思う。と同時に、曲しないことには昇華できないんだろうなぁとも思う。だからこそ、強く惹かれるんです、私は。

ほつれゆくニット(2024年『写真はイメージです』収録)
これはほんとに妄言だと思っていただいた方が良いんですけど、9年経って、初めてこちらを見てくれて、すごく嬉しかったです。私たちは明確な意志をもって、呪いをかけるつもりで、あの冬の日にあなたにニットを着せたので。赤坂BLITZの裏手で、随分と重いものを手渡した思い出が蘇る。

――『写真はイメージです』でも感じたんですが、以前から渡會さんについて“大人になった”と思った瞬間はたくさんあったんですけど、今回初めて“このひとは齢を取ったんだ”と思いました。それは私も齢を取ったからかもしれない。だけど、間違いなく、今回はターニングポイントだと思う。

そう、すべて言葉はイメージで、私の二次創作です。